おじさんKOPのリバプール応援ブログ

リバプールを応援して20有余年のおじさんがリバプールに関する記事を書きたいと一念発起して書くリバプールのブログです。

第1回、スタジアムものがたり

「アンフィールド」 ーリバプールFCの歴史ー

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 夕日に染まるアンフィールド

 

こんにちは、おじさんKOPです。

 

今回は少しコーヒーブレイク的にイングランドのフットボールスタジアムについて話していきたいと思います。

 

これから何回かに分けてイングランドフットボールスタジアムを取り上げていきます。

 

第1回は当然我らがリバプールのホームスタジアム「アンフィールド」です。

 

アンフィールドはご存知の方もいるとは思いますが、過去に奇跡が何回も起きてきたまさに伝説のスタジアムであり、直近ではチャンピオンズリーグ準決勝セカンドレグ、バルセロナ戦。0-3で負けたファーストレグの結果から、大多数の人はバルセロナの勝ち抜けはほぼ決定、なぜならファーストレグの結果だけでなく、自慢の3トップのうち、ロベルト・フィルミーノモハメド・サラーが怪我で出られなくなったことをみな知っていたからです。

 

でも結果は4-3で逆転リバプールの決勝進出。まさに奇跡が起きたと瞬間でした。私も見ていてハラハラドキドキが止まりませんでした。詳しくは後で書きたいと思いますが、とにかくアンフィールドはリバプールにとって勇気を得られる場所、相手チームとってはまさに恐怖すら感じる場所なのです。

 

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アンフィールドはイギリスのリバプール市、マージーサイドにあるフットボールスタジアムであり、イングランド・プレミアリーグに所属するリバプールFCのホームスタジアムです。

 

リバプール市には赤のリバプールFC(アンフィールド)と青のエバートンFC(グディソン・パーク)があり、2つのクラブのホームスタジアムはスタンリーパークを挟んで向かい合っています。

 

アンフィールドは1884年、エバートンFCのホームスタジアムとして建設されました。1884年9月28日、エバートンVSイールスタウンが開催され、これがアンフィールドのこけら落としとなりました。

 

しかし、1892年に使用料値上げに反対したエバートンFCはアンフィールドから500mほどしか離れていないグディソン・パークへホームスタジアムを移転させました。

 

そのため、アンフィールドのオーナーであったジョン・ホールディングが新たにアンフィールドを本拠地とするクラブチームを設立、当初、クラブ名をエバートン・アスレチックとしていたが、後に考えを改め、全く新しい名前であるリバプールFCを設立した。

 

1892年9月1日に行われたロザラム・タウンVSリバプールがリバプールとしての初めての試合となりました。

 

<クラブの歴史>

-草創期ー

1893年:2部リーグで初のリーグ戦

1894年:初の1部リーグの昇格

1896年:トム・ワトソンが監督に就任

1901年:クラブ初の1部リーグ優勝

1906年:2度目のリーグ優勝

1922年:3度目のリーグ優勝

1923年:4度目のリーグ優勝、初のリーグ連覇達成

1947年:第二次世界大戦明けの最初のリーグ戦で優勝

1950年:ウェンブリーでのFAカップ決勝に初めて進出(準優勝)

1952年:FAカップ4回戦でクラブ史上最多の61,905人の観客数を記録

 

※リーグ優勝5回

 

ーシャンクリー革命期ー 

1959年:当時2部であったクラブにビル・シャンクリーが監督に就任

1962年:9年ぶりに1部に昇格

1964年:6度目のリーグ優勝、クラブ史上初めて全身赤のユニフォームを着用

1965年:クラブ初のFAカップ優勝

1966年:クラブ初の欧州カップ戦決勝に進出(準優勝)

1973年:クラブ初の国際タイトルとなるUEFAカップ優勝

1974年:FAカップ優勝を置き土産にビル・シャンクリー監督が退任

 

※リーグ優勝3回(通算8回)

 FAカップ優勝2回

 UEFAカップ優勝1回   

 

ーペイズリー黄金期ー

1974年:ボブ・ペイズリーが監督に就任

1976年:9度目のリーグ優勝、2度目のUEFAカップ優勝

1977年:リーグ連覇、英国勢初のチャンピオンズカップ優勝「キング」ことケニー・ダルグリッシュを獲得

1978年:チャンピオンズカップを連覇

1979年:11度目のリーグ優勝

1980年:リーグ連覇

1981年:クラブ初のリーグカップ優勝チャンピオンズカップ優勝

1982年:2度目のリーグカップ優勝、13度目のリーグ優勝

1983年:3度目のリーグカップ優勝、リーグ連覇14度目のリーグ優勝、ボブ・ペイズリー監督が退任

 

※リーグ優勝6回(通算14回)

 リーグカップ優勝3回

 UEFAカップ優勝1回(通算2回)

 チャンピオンズカップ優勝3回

 

ー2つの悲劇ー

 1984年:4度目のリーグカップ優勝、リーグ3連覇達成、4度目のチャンピオンズカップ優勝

1985年:ヘイゼルの悲劇

1986年:クラブ初のリーグとFAカップのダブルを達成、ケニー・ダルグリッシュが選手兼監督に就任

1988年:17度目のリーグ優勝

1989年:ヒルズボロの悲劇、4度目のFAカップ優勝

1990年:18度目のリーグ優勝 ※これ以降、現在に至るまでリーグ優勝はない。

1991年:ケニー・ダルグリッシュ監督が退任 

 

※リーグ優勝4回(通算18回)

 FAカップ優勝2回(通算4回)

 リーグカップ優勝1回(通算4回)

 チャンピオンズカップ優勝1回(通算4回)  

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ープレミアリーグの時代ー

1992年:5度目のFAカップ優勝、プレミアリーグが発足

1995年:5度目のリーグカップ優勝

1998年:ジェラール・ウリエが監督に就任

2001年:リーグカップ、FAカップ、UEFAカップのカップトレブル達成

2003年:7度目のリーグカップ優勝

 

※FAカップ優勝2回(通算6回)

 リーグカップ優勝3回(通算7回)

 UEFAカップ優勝1回(通算3回)

 

ースペイン化、そしてクロップ改革へー

2004年:ラファエル・ベニテスが監督に就任

2005年:イスタンブールの奇跡と呼ばれる5度目のチャンピオンズリーグ優勝

2006年:7度目のFAカップ優勝

2007年:アメリカ人のトム・ヒックスジョージ・ジレットがクラブを買収チャンピオンズリーグ決勝でミラン(イタリア)に敗れる

2010年:ラファエル・ベニテス監督が退任

NESV(現フェンウェイ・スポーツ・グループ)がクラブを買収、ロイ・ホジソンが監督に就任

2011年:ケニー・ダルグリッシュが監督が就任

2012年:8度目のリーグカップ優勝、ブレンダン・ロジャースが監督に就任

2015年:ユルゲン・クロップが監督に就任

2016年:ヨーロッパリー決勝でセビージャ(スペイン)に敗れる

2017年:リバプール創立125周年

2018年:チャンピオンズリーグ決勝でレアル・マドリード(スペイン)に敗れる

2019年:2年連続チャンピオンズリーグ決勝に進出トッテナムに勝ち6度目の優勝

プレミアリーグで最強の2位である勝ち点97点を獲得(優勝したマンチェスター・シティは98点)

 

※FAカップ優勝1回(通算7回)

 リーグカップ優勝1回(通算8回)

 チャンピオンズリーグ優勝2回(通算6回)

 

ー戦 績ー

       リーグ優勝 18回

     FAカップ優勝  7回

    リーグカップ優勝  8回

   UEFAカップ優勝  3回

チャンピオンズリーグ優勝  6回

 

2019年10月現在

  開幕から無傷の8連勝中。リーグ戦に限って言えば、17連勝中。

  あと1勝すれば、マンチェスター・シティが持つ18連勝に並ぶ。

 

ヘイゼルの悲劇とは・・・

2年連続でチャンピオンズカップ決勝に駒を進めたリバプールがユベントスと対戦。その地がベルギー・ブリュッセル・ヘイゼルスタジアムでした。酒に酔ったリバプールファンの一部がユベントス(イタリア)ファンと小競り合いが起き、スタジアムが大パニックとなり、両ファンを隔てていたフェンスが破壊されると、暴徒化したファンの襲撃に大勢のファンが逃げまどい、その結果、老朽化していた観客席が倒壊、39名のファンが命を落とす悲劇が発生してしまいました。 この事件によりリバプールは6年間ヨーロッパのカップ戦出場禁止、その他イングランドのクラブは5年間の出場禁止処分となり、ヨーロッパでの影響力が大きく後退していきました。

 

ヒルズボロの悲劇とは・・・

1989年4月15日、シェフィールドのヒルズボロスタジアムで行われたFAカップ準決勝(ノッティンガム・フォレスト戦)で大勢のリバプールファンを警察が制御できず、狭い立ち見席には収容能力を上回る数のファンが押し寄せたため、大混乱となり、前方にいた観客がフェンスに圧迫され、最終的に96名もの尊い命が奪われてしまいました。イングランドのスポーツ史上、最悪の事故とされ、後にイングランドのスタジアムからフェンスと立ち見席が全廃される契機となりました。

 

長々と書いてきましたが、リバプールには長い歴史があり、その一部始終をアンフィールドは見てきました。

 

ビル・シャンクリーの発案で全身赤のユニフォームとなったり、「THIS IS ANFIELD」と書かれたプレートがプレイヤーズ通路の上にはめ込まれており、シャンクリーによれば「我々の選手たちに、自分たちが誰のために戦っているのかを思い出させるためのものであり、同時に相手方チームに対しては誰を相手に戦うことになるのかを知らしめるためのものである」との強い気持ちがこもったものであります。

 

また、アンフィールドで行われる試合には、選手入場直前にサポーター全員による「You’ll Never Walk Alone」の大合唱が響き渡ります。それをきいたリバプールの選手たちは奮い立ち、相手チームは震え上がると言われるほど迫力のあるものであり、メッシを含めたバルセロナの選手たちが(メッシでさえも)思うようにプレーできず浮足立つのもうなずけるスタジアムであるといえます。

 

これからもアンフィールドは世界一のスタジアムのひつとであり、古き良き伝統を守りながら、着実に客席数も増加させクラブに収益をもたし、世界一のファンと世界一のサポーターズソングにより、世界一の雰囲気を醸し出して、世界一のクラブとなるべく後押ししていくことでしょう。

 

一生に一度は行ってみたいスタジアムであり、ぜひその夢を叶えたいと思います。リバプールVSマンチェスター・ユナイテッドを見てみたいと思います。

 

今回も読んでいただきありがとうございます。

日本のリバプールファンの方々に読んでもらえるように、また日本のリバプールファンがもっと増えるように、これからもがんばって書いきます。

 

ではまた、次回!