こんにちは、おじさんKOPです。
悲しいニュースが入ってきました。
私がリバプールを見るようになった時の監督がウリエでした。
今ほどネットが普及していない時代で、リバプールのことを知るには動画ではなく静止画がほとんどでした。
後は雑誌。
途中で心臓の緊急手術となった時はサッカークラブの監督をやっている場合ではないと思ったほどです。
それでもウリエはリバプールに戻ってきた。
スティーブン・ジェラード、ジェイミー・キャラガーをトップチームに引き上げ、定着させたのは他ならぬウリエでした。
さらに言えば、若いジェラードにキャプテンマークを渡したのもウリエ。
すなわち、リバプール最高のプレイヤーを作ったのはウリエその人と言っても過言ではありません。
その後の私はどんどんリバプールのことを知っていくことになりますが、オーウェン、ヘスキー、ジェラード、キャラガー、ヒーピアなど個性あるプレイヤーがたくさんいましたね。
ウリエの後を継いだベニテスがチャンピオンズリーグを制したのは皆さんもご存知のことと思います。
一番とは言えないかもしれませんが、プレイヤーを見る目を持った監督であったのではないでしょうか。
まだまだ若い73歳での早い逝去。
天国でかつてのリバプールの監督たちとのリバプール談義に花を咲かせて欲しいと思います。
you'll never walk alone
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ではまた、次回!