グディソンパーク ーエバートンの歴史ー
グディソンパーク(奥)とアンフィールド(手前)
こんにちは、おじさんKOPです。
少しコーヒーブレイクとして、スタジアムものがたりを書いてみたいと思います。今回は第2回でグディソンパークを取り上げたいと思います。
ちなみに第1回は当然我らがホーム「アンフィールド」を取り上げさせて頂きました。下記にリンクを貼っておきますので、宜しければ一読下さい。
1878年、エバートンはセント・ドミンゴスクールのサッカークラブとして設立されました。チームが強くなるにつれ、選手獲得も積極的になり、1879年にはエバートンFCと改名しました。
1888年に始まった世界最古のサッカーリーグであるフットボールリーグに最初から参加した12クラブのひとつであります。
ちなみにその12クラブとは
- アクリルトン
- アストンビラ
- ブラックバーン
- ボルトン
- バーンリー
- ダービー
- エバートン
- ノッツ・カウンティ
- プレストン・ノースエンド
- ストークシティ
- ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン
- ウォルバーハンプトン
クラブ創設当時はアンフィールド(現在はライバルのリバプールのホームスタジアムとなっている)が本拠地でありましたが、1892年に賃料が値上げされたため、本拠地をグディソンパークに移転しました。
アンフィールドを本拠地とするリバプールとの「マージーサイドダービー」か創設以来白熱したものとなっています。
両チームの本拠スタジアムの距離は500m程しか離れていません。
エバートンは1980年年代までは9度のリーグ制覇を含め、数多くのタイトルを獲得したイングランドフットボール界を代表する古豪クラブの一角でありましたが、1992年のプレミアリーグ発足以降は概ね中位に甘んじています。
リバプール出身のビートルズのメンバーがエバートンファンであるか、リバプールファンであるかは謎とされ、長年論争の的でありましたが、少なくともポール・マッカートニーはエバトニアンであることを公言しています。
また、ビートルズ解散後に発表された青盤と赤盤は彼らの故郷であるリバプールにあるサッカークラブのチームカラーをモチーフにしたものという。
青をチームカラーとしているのがエバートン、赤をチームカラーとしているのがリバプールであります。
グディソンパークはイングランドで初のサッカー専用スタジアムとして開場されました。1892年に開場し、9月3日のノッティンガム・フォレスト戦がリーグ戦での最初の使用となりました。1894年にはFAカップ決勝の会場にもなりました。
グディソンパークはサッカーだけの会場ではありませんでした。第一次世界大戦中はイギリス軍の訓練用地として利用されました。
また、アメリカの野球チームであるシカゴ・ホワイトソックスとニューヨーク・ジャイアンツの試合も開催されました。
1938年にはジョージ6世とエリザベス女王(現在のエリザベス女王2世の母)がグディソンパーク を訪れました。ちょうど完成したスタジアムを見学したそうです。
当時のグディソンパークは4つの二階建てスタンドを持つ英国唯一のスタジアムであり、英国で最も先進的なスタジアムでした。
第二次世界大戦中もグディソンパークのピッチは軍事用に利用され、終戦後修理費用を受け取り改修、その後開かれた試合では78,299人の観客が試合を見に訪れました。
1966年に行われたワールドカップイングランド大会でグディソンパークは5回試合が行われましたが、ウェンブリー以外のスタジアムのなかでは最多でした。
グディソンパークの収容能力は1977年当時、56,000人だったものが運動場安全法の施行により35,000人に減少。その後、改装を繰り返して1986年には53,419人を記録。その中で着席は24,419人(ようは座席あり)でした。
しかし、ヒルズボロの悲劇が起こりグディソンパークも他のスタジアム同様、全席着席化へ転換する必要性に迫られました。最終的には現在のグディソンパークの最大収容人数は39,572人となっています。
引用元:エバートンFCオフィシャルほか
今回も読んでいただきありがとうございました。
リバプールのことをもっと多くの方に知ってもらえるよう頑張って書いていきますので、よろしくお願い致します。
不定期ですが、またどこかのスタジアムものがたりを書いいきますのていきますので、ご期待ください。
ではまた、次回!