おじさんKOPのリバプール応援ブログ

リバプールを応援して20有余年のおじさんがリバプールに関する記事を書きたいと一念発起して書くリバプールのブログです。

第1回レジェンド物語、ビル・シャンクリー

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ビル・シャンクリー監督

 【目 次】

 はじめに

 

 こんにちは、おじさんKOPです。

 

インターナショナルマッチウィークの時はどうしてもリバプールネタが少なくなりますね。

 

そういった時は、LFC財団による社会貢献活動についてや、スタジアム物語、レジェンド物語といったリバプールに関係するものの、フットボール本来から少し離れた情報を記事にしていきたいと思います。

 

レジェンド物語第1回はこの人しかいないと思います、

 

ビル・シャンクリー監督。

 

今のリバプールがあるのもこの人がいたからだと言っても過言ではありません。

 

レジェンドオブレジェンドとはこの人のことを言うんだと思います。

 

リバプールFCが設立された1892年以降、シャンクリーが監督に就任する1959年までにリバプールはトップリーグで5回優勝していましたが、シャンクリーが就任した当時のリバプールは2部に低迷している時期でした。 

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 シャンクリーとはどんな人物?

 

 シャンクリーは1913年9月2日生まれで1981年9月29日に68歳で亡くなりました。

 

スコットランド出身のサッカー選手でポジションはディフェンダー。

 

1929年、スコットランドのパーティック・シッスルFCでプロサッカー選手としてのキャリアがスタート、1932年にはイングランドのカーライル・ユナイテッドに移籍、1933年にはプレストン・ノースエンドFCに移籍して1949年(36歳)に引退するまで在籍、プレストン・ノースエンドでは269試合に出場しました。

 

スコットランド代表歴も5試合を数えています。

 

1949年に引退してすぐに古巣のカーライル・ユナイテッドの監督に就任。

 

グリムズビー・タウン、ワーキントンAFC、ハダースフィールド・タウンの監督を歴任して1959年にリバプールの監督に就任しました。

 

監督を辞任する1974年までリバプールの監督としての15年間で783試合の指揮と取りました。

 

その15年間の戦績と獲得トロフィーは下記のとおりです。

 

<戦 績>

783試合:407勝:198分:178敗

 

<獲得トロフィー>

  トップリーグ優勝・・・3回

   二部リーグ優勝・・・1回

   FAカップ優勝・・・2回

 UEFAカップ優勝・・・1回

チャリティーシールド・・・3回 

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リバプールの監督に就任してから

シャンクリーが監督に就任した当時のリバプールは8年間も2部に低迷している時期にあり、多くの人から立て直しを期待され監督に着任しました。

 

シャンクリーボブ・ペイズリージョー・フェイガンというこの後後継者となる優秀なコーチを従え、就任から3年でトップリーグ昇格を果たしました。

 

短期間で昇格させただけでなく、昇格2年目には優勝も成し遂げました。

 

リーグ優勝の翌年にはクラブ史上初のFAカップ優勝をもたらし、低迷していたリバプールをイングランド有数の強豪クラブに仕立て上げました。

 

ヨーロッパでも結果を出し、1973年に初のUEFAカップ優勝を成し遂げました。

 

そしてその翌年に2回目のFAカップ優勝を成し遂げ、監督を勇退しました。

 

シャンクリーの功績は実は監督在籍時代はもちろんなんですが、その後に続くリバプールの黄金期の礎を残したことが、最も大きな功績と言われています。

 

シャンクリーの後を引き継いだボブ・ペイズリー、ジョー・フェイガンがリバプールをイングランドだけでなく、ヨーロッパを代表するクラブへとさらに成長させていきました。

 

シャンクリーのエピソード

 

 シャンクリーの発案として、選手入場口に「This is Anfield」と書かれた飾り板がはめ込まれています。

 

シャンクリーによれば「我々の選手たちに、自分たちが誰のために戦っているのかを思い出させるためのもの」であり、「相手チームの選手に誰とどこで戦うことになるのかを知らしめるためのもの」とのことであります。

 

これを見たリバプールの選手たちは勇気付き、相手選手は恐れおののくことになることを植え付けさせるためにシャンクリーは飾らせたと言われています。f:id:oji3kop:20191116212632j:image

 リバプールの選手は皆この「This is Anfield」に触れピッチに入っていく。「This is Anfield」に触れるジェラードf:id:oji3kop:20191116195920j:image

 現在の選手入場口 「This is Anfield」

 

現在の選手入場口にも付け替えられて飾られている。

 

クロップは選手たちに18-19シーズンまでは何かを勝ち取るまでは触れることを禁じていたという。

 

しかし、現在はチャンピオンズリーグを勝ち取ったため、選手たちが触れることは解禁となっており、入場時触れていく選手を見ることができます。

 

そのような指示を出すほど、この「This is Anfield」は重みのあるものであることが伺えます。

 

もう一つのエピソードは、今でこそ当たり前となった全身赤のユニフォーム。チーム愛称が「レッズ」というだけあってその赤はアンフィールドのピッチに非常に映えます。

 

しかし、昔から全身赤だったわけではなく、シャンクリーが就任してから変更したものであり、それが今に至っているのです。

 

シャンクリーが就任した当時は上が赤で下が白でした。

 

全身を赤にすることにより、インパクトがあり、闘志が沸き、相手を慄かせる効果があると判断してのものだったそうです。f:id:oji3kop:20191116195901j:image

 シャンクリー・ゲート

 

クラブはそんなシャンクリーの功績を称えるため、アンフィールドの前にシャンクリーの銅像を建てました。

 

また、アンフィールドへの入場ゲートのひとつをシャンクリー・ゲートと名付け、シャンクリーを称えました。

 

実はアンフィールドにはもう一つ入場ゲートがあり、そのゲートにも輝かしい成績を残した人物の名が冠されております。

 

その人物とは、シャンクリーの後を継いでリバプールの最盛期を築いたボブ・ペイズリーであり、ペイズリー・ゲートと名付けられています。f:id:oji3kop:20191116160906j:image

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 最後に

 

最後にシャンクリーの名言を記したいと思います。

 

「リバプールは私のために作られ、私はリバプールのために作られた」

 

今のリバプールFCの礎を築いた人物、シャンクリーがいなければ今のリバプールはないと断言できるほどの人物です。

 

リバプールFCだけでなく、リバプール市に住む人々から慕われ、コップからもこよなく愛されたシャンクリー

 

銅像の石碑には「He made the people happy」と書かれており、それを物語っているものです。

 

その魂が脈々と受け継がれているため、今のアンフィールドが奇跡のスタジアムとして多くの人に記憶されているのではないでしょうか。

 

第1回のレジェンド物語はやはりこの人をおいて他にはいませんでした。

 

これから、リバプールの歴史に燦然と輝く実績を残したレジェンドを特集していきたいと思っています。

 

リバプールFCの歴史については以前記事にさせて頂いていますので下記にリンクを貼っておきますので、よろしければご覧下さい。 

www.oji3kop.work

  今回も読んで頂きありがとうございました。

 

リバプールはサッカー界でも随一の熱狂的なファンと奇跡のスタジアムを持つクラブです。

 

それを少しでも感じて頂くのにぜひ動画等をご覧いただき、少しでも興味を持って頂けたら幸いです。 ーY・N・W・A-

 

引用元:liverpoolfc.com

 

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 ではまた、次回!